大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和43年(ワ)943号 判決

原告 豊田一男

被告 綿貫六郎

主文

被告は原告に対し金五万参千八百五拾円及びこれに対する昭和四拾参年弐月九日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

本判決は仮に執行することができる。

事実

一  申立

原告は主文第一、二項同旨の判決を求め、被告は請求棄却の判決を求めた。

二  原告の請求原因

(一)  被告は「白菊」という屋号を用いてバーを経営する者であるが、昭和四二年九月三日原告を右バーのマスターとして日給一〇〇〇円の割合で毎月一日から一五日までの分を同月二〇日に、毎月一六日から月末までの分を翌月五日に支払うとの約で雇入れ、また同日原告の妻豊田ユキ子を右バーのマダムとして日給二〇〇〇円の割合で賃金期間及び支払日は原告と同一の約で雇入れ、それぞれ就労させた。

被告は原告及びユキ子が同年一一月一五日退職した際退職金として原告に九万円、ユキ子に一八万円を支払う旨約し、なおその際同年一〇月末までの賃金は支払ずみであつたが、同年一一月一日から一五日までの賃金原告の分一万五〇〇〇円、ユキ子の分三万円をまだ支払つていなかつた。

そこでユキ子は同月一五日その退職金及び賃金債権全額合計二一万円を原告に譲渡し、被告の承諾を得た。

(二)  被告はこれより原告に対し、右譲渡債権及び原告の右退職金並びに賃金債権合計三一万五〇〇〇円につき弁済の義務を負うに至つた。

(三)  被告は同日原告に対しその顧客若干名に対するバー飲食代金債権券面額約一四万円の取立を委任し、取立ずみの金員をもつて右債務中一一万五一九〇円の弁済にあてる旨、及び残余の債務一九万九八一〇円を同月二〇日までに弁済する旨を約し、かつ同月二〇日後者の内金として一四万五九六〇円を弁済した。

(四)  よつて原告は被告に対し右一九万九八一〇円の債務の残五万三八五〇円及びこれに対する履行期の後たる主文記載の日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

三  被告の答弁及び抗弁

(一)  原告の請求原因事実(一)は認める。(三)のうち被告が原告に対し一一万五一九〇円の債務弁済のため取立委任したことは否認する。被告は右債務の弁済にかえて原告主張の飲食代金債権を譲渡したものである。その余の事実は認める。

(二)  被告は原告に同年九月一日三万円を、同年一〇月三〇日五〇〇〇円を貸付け、一部弁済を受けた結果、その貸付残金は同年一一月二〇日現在で二万五〇〇〇円に達していたので、被告は同日右二万五〇〇〇円の弁済を受くべく、まず原告に対しその請求の残債務五万三八五〇円の内金二万五〇〇〇円を弁済し、直ちにこれの返還を受け右貸付残金全額の弁済に充当した。

(三)  原告は同日、すでに前記債務中一一万五一九〇円の弁済に代えてこれを超える券面額の債権の譲渡を受けた事実にかんがみ、被告に対し残債務を免除する旨の意思表示をした。

(四)  よつて原告主張の債権はすべて弁済及び免除により消滅した。

四  抗弁に対する原告の答弁

右三(二)の事実中貸付を受けたことは認めるが、これは同年一一月五日までに賃金受給の都度分割して弁済ずみである。弁済を受けたこと及び免除の意思表示をしたことは否認する。

五  証拠〈省略〉

理由

一  債権の存在

請求原因事実(一)は当事者間に争がない。これを要するに、被告に対し、原告は退職金及び賃金債権一〇万五〇〇〇円を、豊田ユキ子は同じく二一万円を取得し、ユキ子は昭和四二年一一月一五日夫である原告に右債権二一万円を譲渡し被告はこれを承諾したのである。

労働基準法二四条によれば使用者は賃金を支払うのに直接労働者に対してしなければならないから、たとえ労働者が第三者に賃金債権を譲渡し使用者の承諾を得ても、使用者は賃金を右第三者に対してでなく、労働者に対して直接弁済しなければならない。しかし同条の目的とするところは、高利貸、職業紹介者らが賃金債権の譲渡又は代理受領の形式をとつて労働者の賃金を受領し、もつて暴利をむさぼり労働者を搾取した経験にかんがみ、ともかくもこれを防止し労働者の生活を安定させるべく、労働者に直接賃金を支払うことを罰則の制裁付で使用者に強制するにある。してみると、妻が夫に対し賃金債権を譲渡し、使用者がこれに応じて夫に賃金を支払つても、夫婦が生計を一にしないとの特別の事情でも顕れない限り夫に支払われた妻の賃金は結局妻の自由な使用にも委ねられたことに帰するから、かゝる場合は同条の禁止に触れないと解すべきである。

従つて右のような特別の事情のない本件では、被告は右債権譲渡により結局原告とユキ子との退職金及び賃金債務合計三一万五〇〇〇円を原告に弁済する義務を負うに至つたというべきである。

被告が同月一五日原告に対し右債務のうち一九万九八一〇円を同月二〇日までに弁済する旨を約したことは当事者間に争がない。

二  弁済の抗弁

(一)  (一四万五九六〇円の弁済について)被告が同日右一九万九八一〇円の内金として一四万五九六〇円を弁済したことは当事者間に争がない。

(二)  (二万五〇〇〇円の弁済について)被告が原告に同年九月一日三万円を、同年一〇月三〇日五〇〇〇円を貸付けたことは当事者間に争がない。その弁済の有無を考えると、被告は右貸付後同年一一月五日までの間、原告に対し毎月五日及び二〇日に賃金を支払つたことは争がないから、被告はその際原告から右貸付金の分割弁済を受ける機会があつたこと、弁論の全趣旨及び成立に争のない甲第一号証によると、被告は同年一一月一五日原告に対し右三一万五〇〇〇円の賃金債務全部の支払方法に関し合意を遂げたのであるが、その際右貸付金の弁済につき何らの合意をしなかつた事実が認められることに徴し、原告はおそくとも同日までに右貸付金全額を弁済したものと推認される。よつて被告の二万五〇〇〇円弁済の抗弁はその前提である重要な事情ともいうべき貸付金債権二万五〇〇〇円の存在の証明を欠くのみならず、その他右賃金等債務内金の弁済ありと認めるに足りる証拠はない。

三  免除の抗弁

原告が同年一一月二〇日被告に対し残債務を免除した旨の抗弁について考える。仮令原告がすでに一一万五一九〇円の債務の弁済に代えてこれを超える券面額の債権を譲受けたとしても、これと同時に被告が前記のようにその余の債務一九万九八一〇円につき弁済を確約し、しかもその旨の債権証書(甲第一号証)が、いまだ債権者である原告の手中に存する以上、免除の意思表示ありと推認できず、その他右意思表示ありと認めるに足りる証拠はない。

四  以上説明のとおり被告の抗弁はすべて採用できないから、本件残債務五万三八五〇円及びこれに対する弁済期後たる主文記載の日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告の請求は理由があり認容すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 沖野威)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例